蝋燭の灯りで羊羹を食べてみて思ったこと

ミニマリズム

だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。 陰翳礼賛/谷崎潤一郎著 より抜粋

皆さんはこれを読んだことがあるでしょうか?簡単に言えば、電気が発達して明るくなり過ぎた日本を憂い、昔の美意識について、ここでは蝋燭の灯りなど、様々な場面を用いて説明している本です。青空文庫などの無料アプリでも読めます。

私は作品に出てくる美味しそうな食べ物は試したくなる性分でして、ラピュタの目玉焼きトーストやカリオストロの城のミートボールスパゲティなどは美味しかったです。今はゴールデンカムイのチタタプをやってみたい。

そんな私が、これを試さないわけありません。間接照明は本物の火に近い色あいを選ぶほど、照明、灯りも大好き。羊羹×蝋燭の灯りなんて、もうよだれが止まりません。

今回は、蝋燭の灯りの下で食べる羊羹は本当に美味しいのか、そしてやってみて感じたミニマリストのエッセイ、という2段構えで書いていきます。

結果、刺激や選択肢を減らせば、ものごとの精度、深度は増すことが分かりました。そして、羊羹は美味しかったです。

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羊羹&蝋燭

準備よし

急に思い立ったものですから、羊羹は近所のスーパーにあった井村屋さんの小さいものに。味が3種類あるので食べ比べてもいいかなと。

 

蝋燭はいつか使おうと思っていた古いキャンドルで代用。本当は太い蝋燭と燭台で雰囲気を出したかったのですが・・・。今後取り入れようと思えたら、古道具屋さん巡りをしようと思います。キャンドルは小さい徳用のものをたくさん買った方が気軽に使えてよさそうです。

文中では塗り物の器と言っていましたが、そんなものはありません。お気に入りのお皿で代用します。同じく、和菓子でよくみる楊枝もないので木製のスプーンでそれっぽく。意外とあるものでなんとかなりそうです。

雰囲気よし

セッティングしてみました。

小さなキャンドルでも、灯りを直接見ると光が強くて目がくらみます。一方、羊羹はそんな灯りを吸い込んだかのように鈍く光っていますね。滑らかな艶が美味しそうです。

羊羹の周辺、机の一部しか照らされおらず、部屋は仄暗い。部屋の雰囲気もいい感じです。

 

味よし

では食べてみます。

口元に持っていくと、ほのか香りを感じます。冷たく滑らかな舌触り、複雑さのないシンプルな小豆の味。しいて言えば自然な甘さではなく砂糖の甘さ、人工的な甘みが強すぎると感じます。きっと暗い中、羊羹にだけ集中しているせいでしょう。

これだけ丁寧に羊羹を食べたのは生まれて初めてです。京都のとらや本店で羊羹を食べた時も、ここまで時間をかけて吟味はしなかったのに・・・。

灯りや器の準備、雰囲気作り。準備に費やした時間があるからでしょうか、美味しく感じます。たまにはこんな時間もいいかもしれません。時計やスマホを気にすることなく、おやつの時間に集中するのも悪くありません。

 

不足により得られるもの

ここで終わっては、ただのグルメブログになってしまいます。なぜ徳用の羊羹がいつもより美味しく感じられたのか、ミニマリストの視点で考えていこうと思います

五感の遮断

羊羹以外の余分なものを削ったことが、美味しく感じられた理由として挙げられるでしょう。蝋燭の灯りだけで室内をみたすことで、家具やカーテン、壁のシミなどを見えなくする。視覚を羊羹だけに使うこと。他のものは全て遮断しています。

そして、わずかな灯りは視覚を限定させるにとどまりません。当然、蝋燭という雰囲気作りのために食事の最中にはやらなかったし、音楽をかけることもしない。味覚、聴覚も羊羹のためにチューニングした状態になっていました。

また、暗い中では羊羹の香りや切る時の手ごたえも、敏感に感じ取れていました。嗅覚、触覚も羊羹に集中していたことになります。

つまり、蝋燭の灯りというのは、五感を制限することで、必要な感覚のみを使うための演出。不要な刺激を遮断することで、これまで感じ取れなかった要素を掴むことができる。

私は普段メガネを使っているのですが、考え事をする時には外してしまいます。どこを見るともなくぼーっと視点をさまよわせていると、考えがまとまることが多いからです。これも、視界をぼやけさせることで不要な刺激を遮断し、集中するために行っていたのでしょう。

 

全集中の呼吸

もうひとつ考えられるとすれば、他にやることがなかったからかもしれません。

普段であれば、SNSをチェックしながら、映画を観ながら、何かを考えながら食べているところを、蝋燭以外の灯りをなくすためにスマホやパソコンは使えないし、羊羹の味を確かめたいから考え事もしていませんでした。

意外と人は一つのことに集中できていないのかもしれませんね。食べることだけに集中したことは久しぶりでした。常に複数のものごとにフォーカスしている状態から、やることの選択肢をひとつに絞ったことで、より精度の高いパフォーマンスができたのかもしれません。

時差出勤をするようになり、朝早くに職場に着く私。だいたいお茶を飲みながら読書をして過ごすのですが、本を読み切ってしまったことがありました。まだ始業まで30分以上。とりあえず、いつものルイボスティーを淹れて飲んでみました。

すると、香りがいつもよりはっきりと感じ取れたのです。まるで夏の原っぱのような、暖かい草の香りがしました。職場では読書以外することがなく、お茶だけに全集中していた私は、いつもより味わって飲んでいたのでしょう。今まで飲んでいたルイボスティーよ、ごめんなさい。

 

結び

気まぐれで試してみた蝋燭と羊羹。美味しいだけではなく、ミニマリストに新たな減らすべきものを示してくれました。

ものを減らし、時短に努めることで、少しずつ生活はよくなってきたと実感しています。今度は、刺激や選択肢も減らして、生活のあらゆるものごとの質を高め、より深めていくことで、暮らしがより充実していけるのではないかと思っています。

もの、時間だけではなく、感覚、刺激、思考もミニマリズムの光を当てるべき分野だということが分かったのは大きな収穫です。

ぜひ皆さんも、夜の灯りを少なめに、美味しいお菓子とお茶を楽しまれてはいかがでしょうか。

 

終わり。

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