ファッションという趣味はコスパがいい

ミニマリズム

断捨離を考えるとき、まず手をつけ始めるのがですよね。

しかし、少しお待ちください。その捨てようとしている服たちは、本当に不要なものですか?

今回は、ミニマリスト歴3年のファッション狂いが断捨離の中で感じた、ファッションとの付き合い方について、つらつらと話していきます。服の断捨離に悩む方、ミニマリズムに興味のある方の参考になれば幸いです。

結論から申しますと、道具としての服は断捨離の対象になるけれど、趣味の範疇は対象外にしよう。衣食住はコスパのいい趣味だから、無闇に削らなくても大丈夫ですよ。という内容になっています。

断捨離には思い切りのよさも大切です。

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断捨離の悩み

私は、気に入った服があれば色違い素材違い晴れ用、雨用と同じようなものをいくつも買っていました。

 

しかし、それらは気に入ってはいるものの、所有することだけで満足している服でもあり、断捨離しようと考えた時、まず最初に標的になりました。


しかし、いざ手放そうとすると困る困る。大切に着てきた服はどれもまだ新品同様。「たくさん着てボロボロになったから手放さそう」とはなれません

 


それに、ただ着ていないからといって手放すのも辛すぎます。大切に手入れしてきた服を捨てたり、買い叩かれたりするのは受け入れがたいのです。お金だけの話ではなく、低い価値を付けられることがなんだか悲しいのです。

 


このまま自分一人だけでは断捨離が進みそうにありません。そこで、先人の知恵を借りようと考えました。

 

有名な断捨離の心得に、『ときめかないものは手放す』『一年間着ていない服は手放す』というものがありますよね。暮らしにミニマリズムを取り入れる過程で何度も助けられた、含蓄ある言葉達。

 

しかしこれらは、ファッションに興味のない人の道案内には適していても、私のような服好きにはかえって迷いの森への導きになりかねません。だって好きな服を『手放す』という前提で見つめても、なんだか捨て犬のつぶらな瞳を見つめているようで、ときめくか捨てるかなんて判断できないんですもの!

そして頻度は少なくても全ての服に袖を通しているので、一年間着ていない服もないんです・・・。

 



さて困りました。自分では判断できず、先人にも頼れないとは・・・。

 

では、実際に私はどうやって断捨離をしたのかというと、第三者の目を借りました。いえ、実際に見に来てもらったとかじゃなく、他人からの視線を意識してみたという話です。服は他者との繋がりに必要な、ある種の社会的ツールですし、いい考えではないかと思ったわけです。

すると、私がいかに同僚や友人の視線を気にして服を選んでいるか、ということが分かりました。

 


私はシンプルな服が好きなのですが、超ロングコートや足袋シューズなどのデザイン服もたくさん持っていました。しかし、よく着ていたのは洗練された普通の服ばかりで、お洒落なデザイン服ではありませんでした。

 

低身長で童顔なことがコンプレックスな私は、シンプルで洗練された、大人な雰囲気に憧れておりまして、好んでそんな服ばかり着ていました。そしてコンプレックスから、奇抜な服を着ているところを知り合いに見られるのは、少し居心地が悪かったのです。ちんちくりんがおかしな服を着ていると思われたくはないですからね。デザイン服はいわば趣味で、自分ひとりの世界で楽しむというスタンスでした。

 

しかし、今の着物を着る暮らしでは、一人のお出掛けはもちろん着物。装うという趣味は完全に着物に移行しました。洋服出勤に着るだけの手段という立ち位置に落ち着き、同僚に会うのだからと普通の服ばかり着ています。

 

今の私の生活スタイルでは、デザイン服を着ることはなさそうです。シンプルな通勤用の服を残し、デザイン服は手放すという断捨離の指針が、やっとこさできました・・・。

 


そして時は経ちまして、手放す洋服たちがまとまりました。ここまで来てもまだ、現状を変えたくないという深層心理が働くからか、躊躇する気持ちがしっかりと心に根を下ろしています。

「手放してからやっぱり着たくなるかもしれない」「二度と手に入らないかもしれないし、買い直すことになるなら持っておいた方がいいかも…」など、未練や不安が出るわ出るわ。この雑念で電力を作れたなら、日本のエネルギー不足が解決するんじゃないかと思うほど。使わないのだから無いのと同じ。にも関わらず、やはり所有していたものを手放すのは辛いものです。

 

しかしここまで来たならあとはやるだけ。えいや!と気合を込めて手放してしまいました。めでたしめでたし。

 

古着買取額合計で20万円に迫る勢いでした。どれだけ手放したのか、お察しください。

断舎離のその後

そして現在、お気に入りだった服たちを手放して4ヶ月が経ちました。「断捨離前に感じていた不安は当たったのか。暮らしは窮屈になってしまっていないか」、と不安だったあの時の自分にこう言ってあげたいです。「なぜもっと早く手放さなかったのか」と。

 

いくらお気に入りだったとはいえ、着ているところを知り合いに見られたくないのなら着ていて真に快適とは言えません。ヴィンテージの希少性は所有している時には満足感が得られますが、無くてもまったく困りませんでした。そして、たくさん服を手放しましたが、まだお気に入りのシンプルな子がいてくれるので、着るものに困ることもありません。

 

むしろ、クローゼットは広くなり、服ひとつひとつを慈しめるようになりました。服が減ってシンプルなコーデシンプルな手入れシンプルな管理ができるようになったのも、予想以上に快適です。これまでばらばらで、守備範囲の無駄に広かったスタイルが統一、洗練された印象があり、それも心地よいです。

趣味としての衣食住

私が服の断捨離で頭を抱えことになった理由は、『使うもの』『好きなもの』の評価が一緒くたになっていたからだと思います。『道具』『趣味』、と言い換えてもいいでしょう。


私にとっての洋服はもともと趣味と実益を兼ねたもの。お出掛けはもちろん出勤にも、楽しく好きなものを装うことができていました。しかし着物を着るようになってからは道具の要素が強くなり、趣味の座は着物に明け渡してしまいました。

 

つまり、今の私にとって洋服とは、出勤のために必要なツールです。それなのに、趣味という色眼鏡をかけたまま断捨離を始めたので、そりゃ混乱したわけです。

 


私が服の断捨離を始めたのは、ミニマリストを目指したからです。一方、趣味というのは非合理的なもので、ものが増えてしまいがち

 

しかし、ものを減らしたいという考えで、趣味の選択肢や範囲を狭めるわけにはいきません。ミニマリズムとは、無駄を減らすことで選択肢を増やす手段なのですから。

 

しかし、趣味ができればものが増えるのは事実でして、世のミニマリスト達は悩むわけです。そんなとき、必要不可欠なものが趣味だと悩みは減りますよね衣食住とか。



装うこと食べること暮らすことを楽しむ。必要なのは、服や食器、部屋など、ミニマリストでも必ず持っているものばかり。私の趣味も衣食住なものが多いので、コスパの良さを日々感じています。


日本では裸で外出するわけにいきませんから、何か着なくてはいけません。そんな時、趣味の着物はもちろん、道具としての洋服もお気に入りばかりの私は、通勤の道中ですら常にご機嫌

食事は人類に必須。私が使っている食器は、趣味の珈琲や緑茶を楽しむときにも使うお気に入りばかり。それがあるだけで、料理の腕に関係なく食事に味わいが出ます

生活する場所も必要ですが、掃除などの管理もする必要があります。私は整った暮らしをしたいからと、楽しみながら断捨離したり部屋を綺麗にしたりしているうちに、気付けば掃除や洗濯も終わっています

 

衣食住が趣味になってくると、暮らしに充足感が得られるようです。ミニマリストなら減らしたいと考える家事そのものも、アクティビティとして楽しめるのは健康的というか建設的というか、なかなか気に入っています。以前、珈琲を淹れたり着物を着るのは無駄なのではないかと考えることがありましたが、今ではまったくそうは思いません。避けて通ることができない道なら、楽しく歩いたほうがいいと思います。

 

素敵な服、好みの茶碗、美味しい珈琲、整った部屋。どれもただ生きていくだけなら必要ないけれど、せっかくなら心が潤うようにしつらえたいものです。それに、どうせ服や食器は必要なのですから、趣味も兼ねればお金も浮いて、他の趣味と比べてもの数も増えにくい。一石三鳥です。

結び

結局今回の話は、趣味にコスパを求めるのは違うと分かりつつ、今やっている暮らしは間違っていないんだよと自分を励ますような内容になってしまいました。

 

もし、これからミニマリストになりたくて、暮らしを合理的な形に削りたいと考えている方がいらっしゃるなら、削ろうとしているのが無駄な習慣なのか、楽しめている習慣なのか、まずはじっくり眺めてみてはいかがでしょうか。

 

終わり。

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