ミニマリスト歴も3年になり、生活も徐々に変化してきました。そんな中でふと、自分を大切にできているのかという疑問にぶつかりました。
物欲がないと念仏を唱えながら欲しいものを買わない。時間が勿体ないからと行動範囲を狭くする。確かにミニマルな感じはします。私と同じように、こんなふうになってる方も多いのではないでしょうか?
今回は、ミニマリズムと自分を大切にすることについて、思ったことをつらつらと書いていきます。疲れてしまった方、ミニマリストを辞めたいと思っている方に読んでいただきたいです。
ミニマリストは合理的になりがちですが、そればかりでは自分を消耗してしまいます。猫のように、のんびりいきましょう。
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ミニマリズムはセルフネグレクトなのか
ミニマリストなり、食事は一日一食に減らしました。シャンプーも二日に一回で十分だと分かり、スキンケアも簡略化しました。お洒落なカフェに行く回数も減らして、出かけること自体が少なくなりました。
無駄なことは削る、考えずに続けていた習慣を手放す。そんなミニマリズムに触れてから、暮らしはシンプルになりましたし、時間にゆとりもできました。生活をアップデートしている感覚は心地いいです。
しかしある時、同僚から心配されました。「自分に興味がなくなってない?自分を世話することの関心が薄れてくるのは鬱の前兆だよ」と。
そういわれると、はたして私は私自身を大切にできているのか、自分の心、感性を優先できているのか。即答することができませんでした。改めて考えてみたいと思います。
真剣に考える表情
ミニマリストは合理的
私の生活習慣を例に考えてみます。
まずはスキンケアについて。以前は洗顔後にオイル→化粧水→乳液→ワセリンと4工程のケア、というか保湿をしていました。今では乳液→ワセリンの2つだけ。
ケアを減らしたのは、工程が多いと煩雑になるから。そして単純にものを減らしてすっきりしたかったからです。肌の調子と相談しながら減らしているので、特に肌トラブルは起きず、むしろいい感じです。
食事も減らして今は夕飯のみ。そんな一日一食生活を始めて数ヶ月が経ちました。ただ食費や時間の節約のためだけではなく、朝に食べないほうが仕事中眠くなりませんし、仕事をしていると食欲がわかず、昼を食べずとも辛くないから。つまり、食べる理由がないのです。
もちろん、午後3時頃に空腹を感じることもあるし、夕飯の量が多くなることもあります。でも、朝食の時間分早く出勤することで満員電車を避けて快適に電車に乗ったり、昼休憩の時間をまるまる読書に充てたり。そんな時間の使い方が気に入っているので、無理することなく習慣化できています。
体の声に耳を傾けながら、やりたくないことはやらず、やりたいことをやる。心がすっきりする生活習慣に整える。決して自分をないがしろにはしていません。だけど、同僚の心配にも一理あります。
ウインドウショッピングをしなくなったことで、私の外出頻度は極端に減りました。出かけなくなれば当然、好きだったカフェ巡りも滅多にしなくなりまして、今ではもっぱら家で珈琲豆をごりごり削ってお茶の時間を楽しんでいます。
しかし、たまに「お気に入りのあのカフェ、久しぶりに行きたいな」と思うことはあります。しかし間をおかず、それは浪費じゃないか?家でお茶できるじゃないか、と心の中のミニマリストが囁いてきます。
別に一ヶ月一万円生活をしているわけでもないし、行きたいところくらい好きに行かせてくれ、とも思うけれど、結局は浮かせたお尻をもとの位置にそっと収める日々。そんなわけで、私は休日にカフェに行くのを躊躇するようになっていました。
もちろん、感染対策というのも出掛けない理由のひとつ。しかし、やること全てに必要性というか、コスパを求めるようになってしまってはいないか、とも思うのです。
心の中で囁いてくる声の主
自愛の意味を間違えないこと
ミニマリズムとは、自分にとって大切なものを当たり前に大切にできるようになる生き方だと思っています。お金をかけない生き方ではありません。自分を大切に慈しむ、自愛に重きを置く暮らしです。
自愛、という言葉を辞書で見てみましょう。
- 自分を大切にすること。自分の健康状態に気を付けること。
- 自分の言行を慎むこと。自重。
- 自分の利益を大事にすること。利己。
- 倫理学で、自己保存の本能に基づいて、自己の幸福を求める自然的性向。
- 物を大事にすること。 デジタル大辞泉より引用
結構バラエティ豊富です。1.自分を大切にする、は大前提として、2.自重し、4.幸せになれる道を選ぶ、が私の自愛のイメージです。しかし、ミニマリズムは2&3の『節制し、お金や時間を消耗しない』ことに執着しがちなのかもしれません。
しかし、利益を追求することは、強い執着があるということ。それはミニマリストが手放していきたい思考の大半を占める、物欲や嫉妬、見栄に繋がっています。引力の強いこの考え方には、あまり近づきたくはありません。
一度考え出すと深みにはまりがち。距離をとっていきましょう。
さっきのカフェの話の続き。ミニマリズムで陥りがちな執着によって、私は好きなカフェに行かなくなっていました。しかし、私はカフェに行き、素敵な内装を愛で、珈琲だけでなく器や音楽も味わう、という一連の過程を楽しみたいのであって、珈琲から栄養素を摂取したいわけじゃないのです。
衣服もそうです。毎日着なきゃいけないなら、気分の上がる服が着たい。コスパを考えたらユニクロが一番。でも私が衣服に求めるパフォーマンスは、コスト面ではないのです。だから結果的に、ブランドものや着物も着ています。
もし私の心の声を合理性で塗りつぶせば、今私は全身ユニクロでマックに座り、無表情で珈琲を飲みながらこの記事を書いていることでしょう。それは私が目指す幸せの姿とは似ても似つきません。大切なのは、私の、皆さんの、あなたの心です。カリオストロの城は大好きなので、見たことない人は一度ご覧ください。
スキンケアや食事のように削るものもあれば、欲しいと思った要素は積極的に取り入れることもある。減らすのも増やすのも、私がよりよくなりたいからやるだけなのです。ミニマリズムにしても自愛にしても、色々こねくり回して考え出すと道に迷ってしまいます。いえ、そもそも道のない森を散策しているのだから、妙な考えは持たず、風の音や木々のざわめきに耳を傾け、行きたい方向に進めばいいとも思う今日このごろ。
SNSを見れば、ストイックなミニマリストの発信や商売目的のミニマリズムなど、雑多な情報に溢れています。その流れに翻弄、忙殺されることなくまっすぐ進むのは難しい。そんな時は穏やかに、柳のように受け流しつつ、のんびり立ち止まって深呼吸。それがミニマリズム、自愛のための第一歩ではないでしょうか。
どうか皆さん、ものを減らすことで幸せになりたいと願うあまり、ご自身をないがしろになさいませぬよう、くれぐれもご自愛ください。
終わり。