丁寧な暮らしをしたいミニマリストさんへ

ミニマリズム

 着物なミニマリスト、藍色です。

 今回は、ものを持たない暮らしと丁寧な暮らしについて書いてみようと思います。丁寧な暮らしには「余分」が多いからミニマリストには無理なんじゃないかとお思いのミニマリストさんや、これからミニマリズムと丁寧な暮らしを両立したいと考えている方に、「両立はできるよ!」と声を大にしてお伝えしていきます。

※広告が入っています。読みづらい箇所があるかもしれません。どうかご容赦ください・・・。

ミニマリズムとの遭遇

 私がミニマリズムに興味を持ったのは一体いつ頃だったでしょうか。おそらく数年前、25歳頃に訪れた美術館の展示がきっかけでしょう。一つの部屋に、とても広い一部屋に、たった一つの絵画が飾られていました。特別大きな作品ではないし、今思えば私の好みでもない。それでも惹きつけられたのは、部屋の余白によって際立てられた作品の存在感に圧倒されたから。「ああ、なにもないことはこんなにも美しいのか」と。

 共働きの両親のもとに生まれ、何不自由なく生活することが出来ていた自分にとって、「ものが溢れている」ことは当たり前でした。いえ、きっと多くの方もそうでしょう。しかし、「美術館事件」で得た気づきからか、私は自身の部屋のものの多さにストレスを感じるようになってしまいました。机の上のリモコンやお土産の置物、収納された多種多様な充電コードの芸術的な絡まり具合、出すのも一苦労なみっちり入った衣類ケース。今まで視界に入っても気にならなかったものが、一気に居心地の悪さとなって押し寄せてきました。このままじゃ気が休まらない、と整理整頓や収納術についてネットサーフィンしていたそんな時に、ミニマリストの存在を知りました。無駄を省き、身の回りを必要最低限に整えて小さく暮らすこと。きっと美しく、穏やかな生活なんだろうと憧れ、私のミニマリスト生活はスタートしました。

ミニマリスト爆誕

 まずは基本中の基本、断捨離から始めました。少年時代の思い出の玩具やいつか使うと保管していた道具、予備のイヤホン、2軍の服等等エトセトラ…。本当にたくさん手放しました。人間ってハムスターみたいに溜め込めるんだな、と意外な発見もあり、案外楽しかったです。今は様々な媒体でミニマリズムの情報に触れることが出来るので、ストイックな方に憧れてテレビやベッド、カーテンも使わずに過ごしてみました。すると部屋の空気が澄んでいくような、開放感と言い換えればいいのか、そんな気持ちよさを感じることが出来ました。そこから先は、無駄を見つけては捨てていくことが楽しくて、もの以外の無駄も省くべく支出や生活習慣も見直していき、徐々に生活が整っていきました。

些細な気づき

 しかし、日々生活を整えていく中で頭をよぎったのは、「着物は無駄なのかも」「お気に入りの本も手放さないといけないのか」「珈琲を淹れるのも無駄なのか」「広くなった部屋で植物を育てたいけど…」という小さな棘のようなひっかかり。確か去年の秋でした。私にとって大切なものがほんの少しだけ、仄明るく光を発した、そんな風に感じました。手段と目的が挿げ替わる。初めてこの言葉を身をもって体感した瞬間でもありました。もともと、隠居したら古民家で自給自足しながら丁寧に暮らすことが夢だった私にとって、ミニマリズムがいかに素晴らしくとも、捨てることが出来ない要素が、私にとって重要なものが、すでに生活の中に根付いていることに気づけたのです。

気づきを経て

 今現在、28歳の私は変わらずミニマリストとして生活しています。しかし、室内でオリーブを育て、豆から挽いた珈琲を手間をかけて淹れ、本棚にはお気に入りの本達が鎮座しています。愛用している間接照明を置いた部屋は殺風景とは言えませんし(カーテンとベッドは帰ってきました)、出勤の洋服は制服化したものの休日は着物で出掛けています。きっと私は、暮らしをシンプルにして丁寧に過ごす、そんな生活が性に合うのでしょう。生活に余白を、余白に丁寧な暮らしを。いつかの美術館の展示のような、そんな時間を過ごしたいものです。

 

ミニマムな暮らしではないけれど、ミニマリズムが根底に流れる丁寧な暮らしを目指す私は、きっとミニマリストなのでしょう。

 

 

終わり


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