物欲はミニマリズムを隠れ蓑にする

ミニマリズム

 断捨離をしていく中で気づいたことがあります。それは、物欲に後押しされて手放すという心理、つまり何か捨てて新しいものを買いたいという物欲には、人は気づきにくいということです。

※広告が入っています。読みづらい箇所があるかもしれません。どうかご容赦ください・・・。

 ミニマリスト的なインテリアに拘って断捨離をしていた時、愛用の電気ケトルも手放そうとしたことがあります。私の家のキッチンはステンレスで銀一色、電気ケトルもシルバーだったので統一感もあって気に入ってるんです。しかし、インテリアに拘り始めた人が嵌る罠に見事私も陥ってしまいました。配線気になる病です。あの黒いコードがどうしても我慢ならなくなってしまったんです。

 なんですかねーあれ。電化製品にコードは不可欠ですし、そんなに目くじら立てる程でもないじゃないですか。でも一度目に付くとささくれみたいに頭にひっかかるんですよね。ケトルを置く台座も余分なものに見えてきたり。なんだか洗練されてない、「ミニマム」じゃないって。

 水を毎日1.5L飲み、寒い時期は白湯ばかりな私にとって、必需品にけちがついた状態は気持ちよくありません。毎日使う度に、「どうにかならないかな」と悩む日々が続きました。

 そこで、いわゆ『やかん』を検討してみました。「電気ケトル+台座+コード」が「やかん1つ」に減るのはミニマムじゃないかと。南部鉄器ってご存じですか?鉄製の急須ややかんがありまして、その中でも南部鉄器は有名です。伝統的なものも素敵なんですが、最近はお洒落なデザインの品もたくさんあるんですよ。キッチンに置きっぱなしにしても違和感がないし、お湯を沸かせば鉄分補給もできる。SNSで見かけることも多く気になっていたので、ふるさと納税でゲットしようかなと結構本気で検討してたんですが。

 買いませんでした。

↑ちなみに欲しかったのはこんな感じの素敵なやかん。

 理由は単純。電気ケトルの方が便利だから。スイッチを入れれば湯が沸くまで他事が出来ます。それに、今使っているもので十分機能してるんですよ。「ミニマリズム」だとか「配線見えない方がすっきりしてインテリア的にいい」って、それ自体がすごく無駄な思考ですよね。毎日悩む時間とそのストレス、買わないと決めた途端に心が晴れやかになってからそれに気づきました。男の子ですからガジェットは好きなんです。鉄フライパンとか、刀匠の鍛えた包丁とかも少し欲しいと思っています・・・。丁寧な暮らしもしたい私にとっては、素敵な道具を使って生活するのも憧れのひとつ。しかし、私はこれからも愛用しているケトルちゃんを大切にしていきます。私に必要なのは「冬に白湯を飲むための道具」であって、ミニマムな見た目のお洒落道具ではないのです。


 ミニマリズムを生活に取り入れる時、これからは自分の生活を素敵に整えられるという思い込みで捨てたり買い替えたりしちゃいがちですよね。でも、ミニマリズムを免罪符に、反省せずとりあえず捨てるだけになったり、ミニマリズムにかこつけた物欲が隠れてるの可能性もあるんだなって気づきました。くわばらくらばら。

 終わり

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