ミニマリストが、不必要な家具いわゆるインテリアを生活に取り入れている理由とその魅力を解説していきます。
「ミニマリストになって部屋が整ったけどなんだか味気ない」「ミニマリズムに興味はあるけど牢屋みたいな何も無い部屋には住みたくない」「ものは減らしたいけど拘りやお洒落も気を付けたい」なんてことありませんか?分かります。私も同じ気持ちでした。
そこで今回は、丁寧な暮らしに憧れるミニマリスト歴3年の私が、自身のインテリア遍歴と共に気付いたことを紹介していきます。結論として、ミニマリストでもインテリアは必要であり、私は間接照明と観葉植物をおすすめします。これを読めば、ミニマリズムとインテリアの両立に関する悩みを解決できるはず。是非お付き合いください。
※広告が入っています。読みづらい箇所があるかもしれません。どうかご容赦ください・・・。
初期:小物いっぱいおばけ期
ミニマリズムに目覚めた私(多分25歳)の当時の部屋は、もので溢れた普通の洋間でした。片付けている方ではあったんですが、ドラマに出てくるような部屋に憧れて用をなさないものばかり置いていました。
- 邪魔な暖簾
- どこも照らさないフロアランプ
- フロアランプを旅館風にしたくて自作した籐っぽい覆い
- 今でも用途が分からない半畳の畳マット
- どこかの部族のお守り
- 統一感のない掛け軸やポスター
- 逆に目立つ配線隠しの小物
- 見えるように並べたCD
- 読まないのに並べた本
- なにも生けていない花瓶 etc..
恐らく和風モダンな部屋にしたかったんでしょう。もともと持っていたものでお洒落なインテリアにしよと試行錯誤し、どんどん要素を追加していった結果です。ハウルの動く城の外観のようです。
ミニマリズムに触発されてから、この統一感のなさ、溢れた無駄なものからの圧迫感にストレスを感じるようになってしまいました。自分の部屋なのに、まるで拷問部屋のよう。心の持ちようひとつでこんなに印象が変わるのかと驚きました。
中期:ミニマリズム全盛期
ミニマリスト生活を目指して身の回りを整理し始めた頃、憧れたのは「何もない部屋」。まるで仙人のような、悟りを開いたような、足るを知る暮らし。そんな殺風景な部屋でした。拷問部屋からの脱獄を図り、こんまりメソッドやミニマリスト諸兄のYoutubeも参考に行った、インテリアに絞った片づけは以下の通りです。
- 床にものを置かない
- 机、棚の上にもものを置かない
- ベッド下には何も収納しない
- 暫く経ってからベッド自体も撤去 ついでにTVも
- カーテン撤去(ホコリの元凶だから)
- 配線は一か所にまとめてコンセントを伸ばさない
- CDや本は手放す
- 収納は隠す、見せない
いやー。ゴミ袋にものを詰めたり不用品を売りに行ったり、とても大変でした。その甲斐あって部屋はすっきり、無駄なものが視界に入らなくなったので心なし空気も澄んだような気がしてきました。必要なものがどこにあるかも目を瞑っても分かる?ようになりました。物理的に部屋が広くなり、見える床面積が増えたことで精神的にも開放感があります。脱獄成功です。めでたしめでたし。
現在:ゆるミニマリスト期
なんて、人生そんな簡単にはいきませんよね。何もない部屋は確かにすっきりしていて気持ちいいです。しかし、丁寧な暮らしにも憧れていた私は、珈琲を飲んだり読書をしたり、そんなくつろげる空間も求めていたのです。しかし、心を潤す絵ひとつない殺風景な部屋では望むべくもなく・・・。私は「ミニマリズム」を目的に、心地いい空間を度外視したインテリアを組む修羅と化していたのです。(「組む」というより「更地にした」が正しい)。ミニマリズムなインテリアに憧れたと言い換えてもいいかもしれません。
以前にも述べましたが、ミニマリズムは生活を整えるたたの手段に過ぎませんが、片づけをしていくうちにハイになってしまい断捨離自体が目的にすり替わってしまうことがあります。この時の私のように。
しかしただでは起きませんよ。この失敗を糧とすればよし。いい面を見れば何もない部屋ですから、好きなようにインテリアを組み直すことが出来ますもんね。
そこで身の回りを削りまっくたからこそ分かった、今現在の私にとって必要なゆとりあるインテリアについて、気づいたことを書いていこうと思います。
照明
まずは照明を見直しました。なにも無い空間でなければきっと目をつけることもなかったかもしれません。
これまではずっと備え付けのシーリングライトを使っていました。天井なら場所も取らないし、わざわざライトを「増やす」なんてミニマリズム修羅期の私には許容できませんでした。そもそも、別に光量が足りないわけじゃないんです。充分便利ですから。問題だったのは、あの白々しい無色の明かりなんです。なにもない空間を真っ白に照らすあの明かりはどこか不躾で、さみしくも感じます。私が好きなのは、寺院の奥まった庵室や薄暗い喫茶店に共通する落ち着いた雰囲気なのです。
ここで、私の好きな本の中から、照明に関する一説をご紹介します。
美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。 陰翳礼讃より抜粋/谷崎純一郎著
われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮断して、自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも勝る幽玄味を持たせたのである。 上に同じ
つまり、隈なく照らすのではなく、あえて影を作るよう照明を使うことで、私の作った「殺風景な空間」を「いかなる壁画や装飾にも勝る幽玄味」へと進化させることができるということです。この主張こそ、私がミニマリズムに求めていたことなのかもしれません。
それに、考えてみれば部屋全体を明るく照らす必要ってありませんもんね。食事をする場所や本を読む場所だけしっかり明るければ、あとは仄暗くても生活に支障はないわけですし。
そこでシーリングライトを使うのをやめて、できるだけ無機質なデザインのライトを間接照明として使うことに決めました。現在3つほどを使い分けています。部屋は薄暗くなりましたが、かえって落ち着きます。生活感のある場所(台所、冷蔵庫あたり)は照らさない、つまり「任意に遮断」することで、絵画を飾って目隠しすることもなく、「幽玄味」のある一角に変えることが出来ました。薄暗いだけでなんだかお洒落な空間になるのでおすすめです。友達を呼びたくなります。あんまりいないんですけど・・・。
照明の光の色は「電球色」「温白色」の温かみのある蝋燭のような色味がおすすめです。

充電式のまん丸ライト。配線がないのでまるで満月のように見えるのがお気に入りポイント。シリコン素材で柔らかいです。
観葉植物
もう一つ、私が必要だと感じたのは「自然との繋がり」とでもいえばいいのでしょうか。
森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。 羊と鋼の森より抜粋/宮下奈都著
この文言、美しいですよね。本当はこれ、ピアノを調律している場面での表現なんですが、感動する機会がめっきり減った私に必要なのはこんな感情なんだ!と読んだ瞬間にピンと来たわけです。しかし名古屋のコンクリートジャングルの何もない空間で暮らす私には、こんな美しい情緒もなければ、周りや心の原風景に「森」があるわけでもありません。
そこで、手っ取り早くいこう、とお迎えしたのが観葉植物。ガジュマルやパキラなどたくさんある中で私が選んだのは、枝と葉が繊細で形の美しいオリーブ。2種類を置いておくと実がなることもあるそうです。高さ1mほどの存在感のある大きさの子にしました。
夜の主役が先ほどの照明だとすれば、こちらの植物は昼のセンター。窓から差し込む陽射しに照らされた葉と、床や壁に落ちる葉陰。なんとも美しく、穏やかな気持ちになれます。
水やりや日当たりの調整など、家事は増えましたし、床掃除の助けにもならず少しだけ手間は増えました。それでも、植物と共に暮らすのはなんだか楽しいです。季節の移ろいを楽しむことが出来そう。(今は葉が枯れかけたりしてあわあわしているのですが)

最近めっきり冷え込んで元気のないしょんぼりオリーブ
なんだか抽象的なことばかりになってしまいましたが、何もなかった部屋に植物がいてくれるだけで、部屋に彩りが加わり、なんだか潤ったような気がしました。強く強くおすすめします。
結び
まとめますと、ミニマリズムがインテリアの目的になってないか気を付けましょう、自分の目標とする暮らしを想定してインテリアを組みましょう、私は間接照明と観葉植物をおすすめします、といった感じです。参考になりましたら嬉しいです。
ものがあればいいってもんじゃないけれど、なんにもないのは寂しすぎます。心に潤いを。水やりは自分にしかできないのです。
終わり