ミニマリストが手放せない小銭入れの話

ミニマリズム

丁寧な暮らしに憧れつつ、生活をミニマルに削ぎ落とす作業も数年が経ちました。まだブラッシュアップの途中で完璧とは言えないまでも、ものを減らして物理的にも精神的にも身軽になりました。

そんな私の休日のお出掛けの持ち物はこの5点。あとスマホも。本当はデジタルデトックスをしたくてスマホは家に置いていきたいのですが、看護師として緊急連絡を受けられるように持ち歩かなくてはいけないのです。

 

 

 

-お気に入りの眼鏡に京都で買ったハンカチ、お札入れと小銭入れ、そしてリップクリーム-

鞄は必要ありません。着物の袂に全部入るので。ミニマリスト的に嬉しいポイント。

しかし昨今のキャッシュレスの波は機械音痴の私も感じているところであります。スマホを持ち歩くならスマホで決済できるようにして、財布は要らなくなるんじゃないかと感じてもいます。

今ですら支払いはカードで、お札入れには念のための紙幣が入っているだけ。小銭入れに至っては行きつけの古い喫茶店で500円払うためだけに持っていましたが、コロナでずっと行けていません。

それでも写真で一際存在感を放っているこの小銭入れだけは、どうしても手放す気にはなれないのです。

本日は、ミニマリストがどうしても断捨離できない「不要な」愛用品についてつらつらと書いていきます。持っていてもいいんだ、と誰かの何かを守るきっかけになれれば嬉しいです。           

 

 

 

 

 

-開くとより一層可愛らしい。バーガンディとこげ茶の二色使いが綺麗です-

※広告が入っています。読みづらい箇所があるかもしれません・・・。


 

もともと革製品は大好きで、今では靴は全て革靴、スニーカーは病院以外では恐らく2年以上履いていません。木製家具や陶器と一緒で、時間と手入れによって磨かれる美しさ、それこそプライスレスな魅力の虜なのでしょう。

 

読書も紙派な私。電子書籍の便利さの誘惑はありますが、紙の質感、手触りも含めた体験が本を読むことだと感じるのは、懐古趣味、アナログな人間だから。お金の支払いもスマホでしないのも、読書と一緒。あまりにお手軽過ぎてなんだか味気ないというか、プラスチックの器でディナーをするみたいな違和感。

 

だから私は今でも財布を使っています。ただ、お札と小銭で財布を2個持っているのはミニマリストとしては変です。いえ、キャッシュレスな時代には小銭を入れるスペースのないお札入れは合っていると思います。そもそも2個持ちにしたのは着物の左右の袂に分散して入れたかったからです。片方に普通の財布では重くてバランスが悪い。それだけでした。

 


 

しかしこのコインケース(イタリア産なので横文字の方がしっくりきます)には一目惚れしてしまいました。色展開では緑やターコイズブルーなんてのもあって、イタリアらしい綺麗な発色を楽しむなら鮮やかな色にしようか、なんて血迷ったこともあるほど。のちに洋服は春夏秋冬ネイビーしか着なくなる人物とは思えません。

 

職人が一枚の革を立体的に形成しているなんて聞かされれば、ホールカットの繋ぎ目無しなミニマルデザインの革靴を愛している私が反応しないわけはありません。その場で買うことに決めました。手に馴染むこじんまりした楕円形の美しいシェイプ。なにもないという装飾がここまで目を惹くのは珍しい。

 

着物を着る際に、シンプルを心掛けつつもお洒落を意識すると、デザインを足す方向に心が動きがちです。簡素だから、着付ける「型」が目立つ。それが難しくてつい足し算してしまうのでしょう。このコインケースは私が目指す着姿そのもの。飾らず、格好つけず、どこか柔らかい雰囲気もある。けれど洗練された美しさ。いずれこうなりたいものです。

 

 

 

 

 

-裏側には無数の小さな傷が・・・。それもまた味です。それが革製品のいいところ-


 

なんやかんやと手放さない理由を語ってみても、このコインケースは私の今の暮らしには一切役立ってはいません。ミニマリストになってからとんと買い物をしなくなり、カードで払えない場所もないのでお釣りも出ない。友人と割り勘するような場面もないし、最近ではスマホで割り勘のやり取りができるらしいじゃないですか。

 

それでも手放せないのは、美しいから。時間の経過による磨かれた美、そして思い出もある。使っていないものは手放し、思い出は写真にとればいいじゃない、とミニマリスト諸兄はおっしゃいます。しかし、ですか、but私は異を唱えたい。

 

美しいものを手放したら、その暮らしには何が残るのでしょう。

 

何もない部屋も、無駄のないデザインの家電やシンプルな服も、全て美を求める人の心がなければ不要なものでしょう。ごちゃごちゃしや部屋で、ギミックだらけの家具に囲まれキャラクターデザインTシャツを着て過ごせばいいのです。嫌でしょう?そんな暮らし(これを読んでいる方は全員ミニマリズムが染み込んでいると仮定してお話しています。他意はありません)。だから私は、ユニクロではない好きなブラントの服を着るし、スニーカーではなく綺麗なラインの革靴を履くし、着物や珈琲などの暮らしも変えず、コインケースも持ち続けるのです。自分が美しいと感じれば、要不要を問う必要はありません。

 


 

今回文章を書いているうちに、他にも手放せない、まだ使えると理由をつけて大事に抱えているものがあることに気づきました。どれだけものを減らしても、自分のことは把握しきれません。常に新しい発見があります。例えば、珈琲好きの私ですが、日本茶も淹れてのんびりしてみたいと思っていたことを今さっき思い出しました。どこかに急須は仕舞ってあります。捨てていなくて、よかったです。

 

終わり。


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